テレビの中に、確実に広がる世界と空間。
写真の中に見る、実在するアイドル。
全て本物を観た事が無くて
だけど全てが近くて存在する人。

例えば私が助手席に乗っていて、
目の前に横断歩道。すぐ近くを歩いている歩行者と
車の中の私との距離は物凄く近いけれど
降りなければ触れないし
乗らなければ触れない。触ってみないと、実感出来ない。
行ってみないと、大きさは計れない。
遠くて近い、そんな存在感。
あるのかないのか曖昧の、実感のあるモノ。

サイダーから弾けていくあのぱちぱちは、
やっぱりさっきまであって、
冷たいと実感する事が出来たけれど、もうなくなってしまう。

目覚めても、自分で思い出せる夢は
ホントに観たけど、でも記録は記憶の中だけで
夢の残りは実在しない。

小さな記憶や、実際に触れない存在するモノを
すこしずつ繋げていくと
自分の生活の中にかすかに繋がって
「あ、こういうことか。」と思える事。

モーニング娘。は、実在するし、さっきまで
そこで一緒に遊んでいたようなありふれた女子。
その中でも一番、自分に身近に感じたのは
加護亜依ちゃん。
だけど彼女と話す事も出来なければ、まして触る事なんて出来ない。
私が松浦亜弥を描かないのは、彼女の存在が
自分の生活の繋がりに引っ掛かる事ない程に
遠い存在に感じるからだ。彼女の本音は私には届かない。

描く事で確かめる、さらに遠いかも知れない
私と加護亜依ちゃんの距離。
私の泥臭くリアルな生活に、少しだけ繋がってくれる
加護亜依の親近感。